人の心を知るひとよ(未完)

オメガバース五甚&虎伏
文字サイズ小中大
文字組縦横
フォントゴシック体明朝体
    1

 僕の記憶が正しければ、恵の二次性はアルファだ。父親はオメガ、母親はベータで、彼を産んだのは母親の方だと言うことも確認している。
 恵の検査をしたのは硝子で、その結果は僕と恵の二人で聞いた。御三家の相伝持ちのアルファが気をつけなければならない事は、その時からずっと僕が教えてきた。どんな虫が寄ってくるのかも、それを追い払う方法も、衝動を抑え込む手段も、その全てを教えて、恵はそれを理解し体得してきていた筈だったのだ。
「――それで結局、何があったの」
 今、僕の目の前には二人の生徒が膝を揃えて座っている。悠仁は居心地悪そうに目を泳がせ、恵は不貞腐れたように目を逸らしたまま、一切口を割ろうとしない。
 痺れを切らして問いかけても二人の態度はさして変わらず、恵は隣に座る悠仁を恨みがましく睨めつけた。
「……オマエ、なんで五条先生に言ったんだ」
「や、だって、俺アルファとかオメガとかわかんねぇし……」
「ねぇ、僕は『何があったの?』って聞いてるの。二人に」
 実際問題なにがあったのかなんて、今の二人の様子を見ればおおかたの予想は着く。だからこそ、きちんと確認しておかなければならないのだが。
 再び黙り込んでしまった二人を前に、僕はひとつため息をついた。質問の仕方を変えるしかない。
 僕は昨晩クソみたいな任務を振られ、これからその後始末が待っている。つまりあまり時間はかけられない上に、正直に言えば虫の居所もよろしくなかった。ここに居るのが恵一人だけだったなら、事の仔細を無理やりにでも吐かせていただろう。
 それをしなかった理由は、ふたつだ。
「つまりさ――」
 僕は自分のスマートフォンを二人の前に放りやった。ロックは解除しメッセージアプリのトーク画面を表示させている。相手は悠仁。今朝方受信した内容は「どうしよう」「やっちゃった」の二言のみだ。
「悠仁が恵に突っ込んだってことでいいの?」
 余りにも短慮なトーク履歴と僕の質問内容に恵はあからさまに顔を顰めた。
「違います」
「違うの?」
「俺が勝手に虎杖の上に乗っただけなんで」
「だから悠仁は悪くないって?」
「はい」
 正直なところ、どちらが先に仕掛けたのかなんてどうでも良かった。悠仁はきっと恵に掘られる覚悟をしていたのだろうし、僕以外の誰もがそ﹅う﹅なると思うだろう。
 僕の知る限り恵はアルファで、悠仁はベータなのだから。


 恵は元々、オメガのフェロモンに対する耐性が強かった。思春期を迎え反抗的になっても、喧嘩こそすれ性的な問題行動は一切なかったと記憶している。僕ですら一瞬惹かれそうになる強い匂いが漂っていても、あの子は顔色ひとつ変えなかった。発育の個人差なのかと思うこともあったが、恵に惹かれて寄ってくる虫の多さからして、その可能性も薄いだろう。才能も技量も外見も、恵の持つ性質は一般的なオメガやベータとわざわざ比べるまでもなく、僕と双璧を築けるほどに強いアルファだった。ただ本当に、性に対して清廉潔白であることだけを除いて。
 その恵の様子がほんの少しだけ変わった時期があった。悠仁がここに戻﹅っ﹅て﹅来た時だ。それが何を意味しているのかなんて僕は知らないけれど、その時の恵が纏った空気に似たものを、僕は知っている。確証はどこにも無かったけれど。


 頑なに「自分だけが悪い」と言い張る恵に食ってかかったのは悠仁だ。それはまあ、そうだろう。二人の力量差を考えれば、悠仁には逃げる手段がいくらでもあっただろうし、もうひとつ言うのであれば、衝動を抑えきれないとわかった時点で恵は人を遠ざけていたはずだ。
「だから俺が伏黒の部屋に押し入ったりしたからで!」
「あのくらい抑えられなかった俺が悪いっつってんだろ!」
 結局のところ、悠仁は恵を心配して助けてやりたかったのだろう――たとえ自分の貞操がどうなろうとも。そして恵は、万が一にでも悠仁の身体に傷を付けたくなかった。ただ、それだけの事だ。
「二人の主張はわかったからさ、なんで恵がそ﹅う﹅な﹅っ﹅た﹅のかだけ教えてくれない?」
 僕が知りたいのは、アルファの恵が抱かれた理由じゃない。
 そうなるほどに抑えきれなかった、その原因だ。


 そもそもアルファとオメガと言う二次性については、未解明の事柄が多い。血液型のような遺伝規則も存在しない、ある種の突然変異だ。第二次性徴を迎えるまで分からない事柄に、ただ優劣を付けるための記号を割り振っただけだと僕は思っている。
 恵の出生は僕から見てもわかるくらいに特殊なもので、硝子に言わせたら「何が起きても驚かない」くらいだった。ベータの女が産んだ、オメガの男の子供。可能か不可能かで言えば前者だが、たとえ男であったとしても、オメガが伴侶の女性に子を産ませる道を選ぶことは稀だ。彼らには本能的に抗いがたい発情期――ヒートがあるからだ。発散するためとはいえそ﹅ち﹅ら﹅ばかりを使う事に慣れれば、元々持っている男性器の機能は成人する頃には衰えて失われているのだという。そうなれば、子を欲するなら自らが産む道を選ぶしかない。
 けれど恵の父親――甚爾は、そうではなかった。
 恵の存在は呪術界にとっても僕にとっても、そして恐らく甚爾にとってもイレギュラーで、稀有なものだったのだ。


 わかりません、と言った恵の表情に嘘はなかった。そう、嘘はなかった。ただ、一瞬の迷いがあったことを僕は見逃さなかった。
 心当たりはある。しかし確証がない。だからわからない。おおかたそんな所だろう。その心当たりを今この場で口にしないのは、隣に居る悠仁への配慮か、はたまた僕に対する何がしかの思惑があるからなのか。
(いや、まあ、そうだよねぇ)
 僕にだって思い当たるところはある。でも今それを恵に言うわけにはいかなかった。恵もきっと同じだろう。話すなら、互いに確証を得てからだ。
「じゃあこの件は一旦保留で。二人の関係をどうするかは……まあ二人で話し合ってよ。僕からは何も言わないからさ」
 僕は二人にそう言って、床に転がしていた端末を拾い上げる。いつの間にか来ていた伊地知からの連絡に短く返信をして、困惑したままこちらを見る生徒たちに言った。
「あ、セックスするときはちゃんとゴムつけるんだよ? お腹痛くなっちゃうからね。ローションはオススメを今度届けておいてあげる」
 不快そうな顔をした恵と慌てふためく悠仁の姿を見て、僕は今日、初めて声を出して笑った。


    2

 他人の尻拭いなんてするもんじゃない。ましてや失敗のケツ持ちなんて、ろくなもんじゃない代表格だ。それでも僕がその任務を他に回さなかったのには理由がある。
 残穢を残さぬ暗殺者、回収予定であった所有者不明の呪具の消失。誰が殺して奪って逃げたのかなんて、考えるまでもなかった。
 現場に着いて、改めて何も無いことを確認した僕は、のんびりと周囲を見回っていた。時間の経過を考えれば、甚爾はもうこの近くには居ないだろう。平常時であれば。
(……早いな)
 微かに漂う甘い香りは間違いなく甚爾のフェロモンだった。元々この任務に就いていた術師も補助監督もベータで、この残り香には気づかなかったのだろう。――否、気付いていたとしても、僕でなければ甚爾の身に起きた異変は分からないはずだ。
 通常のオメガであれば三ヶ月毎に訪れるヒートが、甚爾には半年に一度かそれ以上の間隔を空けてしか起こらない。それも理由の一端なのか、甚爾は抑制剤を好まなかった。服用したところで効果がなかったのだとも言っていた。高い金を払って病院に通って効かない薬を貰うよりも、さっさと中に誰かの精液を出して貰った方が早い、とまで豪語したほどに。
 甚爾の前回のヒートは三ヶ月前に終わっている。その時の相手は僕ではなかったけれど、過ぎた後で本人から直接聞いた。
 不定期に訪れるヒートにどう対処しているのか、興味本位で訊いてみたこともあった。なんとなく分かるのだと答えて、そういう時は仕事も断る、と甚爾は話した。
 つまり今、彼は想定外のヒートに苛まれている。
(この辺りで、一番人目につかない場所か)
 誰のものでも構わないと言い、実際その通りに誰ともしれない男とシケ込むのを見てきた身としても、今回ばかりはこちらの手中に抑えておきたかった。このクソしみったれた任務のためではない。自分と、最近少し様子のおかしい恵のためだ。
 風化しかけて崩れたコンクリート塀の上に立ち、敷地外の道なりを記憶していく。
 大通りへ続く見通しのいい道。活発な店の並ぶ商店街の脇道。工事予定が張り出され、ブルーシートに覆われた空き地。どれもこれも、甚爾が身を隠すのに好まない場所ばかりだ。
 ぐるりと一周見渡して目に付いたのは、小さな神社の鳥居だった。管理する者もいないのか、塗装はくすんで所々が禿げている。敷かれた砂利の隙間からは足の長い雑草が我が物顔で伸び放題だ。
 正面に降り立って、鳥居を避けて敷地内へと踏み入れる。手折られた茎の青臭さが鼻についた。
 僕の足に迷いはない。参道を逸れ、今にも崩れそうな社務所の裏手へと回る。次第に強くなっていく匂いに、徐々に思考が侵食されていくのが不快だった。
「辛そうだね」
 街灯の光も届かないような暗がりに、甚爾は片膝を抱くようにして身を縮ませていた。大きく上下している肩には、いつも腹に納まっている呪霊が乗ったままだ。
「……何しに来た」
 僕を睨みあげる目は、熱をはらんで揺れている。声は掠れ、息は荒い。出しっぱなしの呪霊も、誰かが来ることを想定して出していたわけではないのだろう。おそらく、喉を通せなかったのだ。
「君が盗んだ呪具の回収、かな」
 僕はつとめて冷静に距離を詰める。甚爾は逃げない。
「盗んでねえよ。拾った」
 甘やかな匂い。本能が理性を塗りつぶしていく。けれどそれは、甚爾も同じはずだ。
「拾得物は届け出るものだよ。子供の頃に習わなかった?」
「習ってねえなあ。猿だからよ」
 手を伸ばせば、容易に触れられる程の距離。
「じゃあ今から教えてあげるよ」
 腰を落とし、視線を合わせると、甚爾の視線が揺らいだ。その眼前に手のひらを差し出して、僕は続けて言った。
「僕なら全﹅部﹅どうにか出来るけど、どうする?」
 甚爾は目を泳がせて、しばらくの間口を閉ざした。持ち上がった腕は、巻きついた呪霊をひとなでして、離れた。
「僕のフェロモンにここまで当てられて、違う男引っ掛けて満足できるの?」
 ダメ押しだ。もう、互いにどうすることが最善なのかの結論は出ている。
「……出来るわけねえだろ。オマエがなんとかしろ」
 諦めたように言って、甚爾は僕の手のひらにその手を乗せた。


2023-08-28 14:15:40
いいね! Wavebox